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2010年02月08日:最新情報

[2010.02.08]NEW ENTRY

報徳教育部より  「今月のうた・ことば」

二月のことば
夫れ分限を守らざれば、
千万石といへども不足なり

                     『二宮翁夜話~湯船の教訓』より
 人間には良くも悪くも様々な欲があります。そして、欲が原因で様々なトラブルが起こります。しかし、欲はすべて悪いということではありません。食欲は生命を維持するためにエネルギー源を確保しようという働きであり、これが正常に機能しなければ、健康な生活は送れません。また、勉強やスポーツ、文化活動にあいては「向上心」が大切ですが、これはある種の欲と言えます。つまり、欲望に流されることなく、積極的に活用し、コントロールしなければなりません。
 人間の欲望はつきるところを知らず、欲望の赴くままに生活すると、贅沢がどんどんと進み、お金はいくらあっても足りません。そこで分限、つまり分度を定めて、何事においても一定の範囲内で済ませば自分の生活でトラブルになることはありません。しかし、その分度は自分に定めるのではなく、積極的に余剰を生み出してこれを世のため人のために役立てようというのが報徳思想です。
 二宮尊徳は江戸時代に生きたので、石高を例にした話が多く残っています。そして、百石の給料がある人は五十石で生活して残りの五十石を余剰として他のために役立て、千石の者は五百石で生活して残りの五百石を余剰として他のために役立てるように教えました。これが「分度推譲」です。しかし、分度を定めてこれを守るのは、わかっていてもなかなか難しいことです。だからこそ欲望をコントロールできるように訓練しなければならないのです。
 さらに「分限=分度」という考え方は、このような経済的なことに留まりません。例えば、お風呂に入るときは、大人が湯船の中に立ったまま、「なんだこの湯は、浅すぎて膝にも満たないではないか。」と肩に湯を掛けながら不平を言うのは、「譲り」の気持ちに欠けています。大人が立ったままで肩までつかる湯船では、子供が入浴することはできません。湯船というものは、大人は屈んで入って肩まで湯につかり、子供は立ったままで肩までつかるものであり、大人にも子供にも「譲り」が必要です。このようにそれぞれが「譲り」の精神を発揮して物事をうまく進めることは中庸といいます。以上、『二宮翁夜話』の「湯船の教訓」という有名な下りの要旨です。
 「譲り」、つまり「推譲」の精神が無ければ巨額の富もその場を離れず、人々の役に立つことはありません。以前にも言及しましたが、中学生や高校生が金銭的な「譲り」に重きを置くよりも、先ず推譲の精神を身につけるべきです。それには、自分の時間や労力を提供して他のために役立てる訓練が必要です。ある種、犠牲的精神です。分度を守る勇気と譲りの気持ちを身につけること、これがなければ様々な人からの徳にも報いることはあり得ません。従って、これこそが報徳生の至上命題であると私は考えます。

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