報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2016.5.6]

今月のうた・ことば

五月のことば
  三つの実践
   翁曰く、我が道は勤倹譲の三つにあり。
   勤 場を清める  倹 時を守る  譲 礼を正す

寛政3年(1791)、南関東を襲った暴風雨により酒匂川が氾濫し、二宮家所有の田畑が全て押し流され、以後一家は大変な苦労をすることになります。二宮金次郎5歳の時でした。土砂に埋もれた田畑を取り戻すため、来る日も来る日も重労働をくり返した父利右衛門は、ついに体調を崩し、まだ幼い金次郎に一家の労働力としての重責がかかります。父の代理として酒匂川の堤防工事にも出向きますが、12歳の金次郎には大人と同じことはもちろんできません。そんなときにも金次郎は自分に何ができるか考え、自分にできることに一生懸命取り組みました。その1つが草鞋作りでした。江戸時代のことですから現在のような頑丈な作業靴もなく、人々は藁で編んだ草鞋を履いていました。堤防工事という土木作業では、草鞋の傷みも早かったでしょう。これに目を付けた金次郎は、帰宅後夜遅くまで草鞋作りをしてこれを村の人々に差し出し、自分の力不足を補おうとしました。
このような体験から金次郎は様々なことを学び取っていきます。自分にできること、すべきことを精一杯する、これが至誠と勤労です。勤労、つまり勤とは衣食住になる物品を勤めて産出すること。倹とはその生み出した物品をむやみに費やさないこと。無駄遣いをしないこと、倹約、あるいは節約です。譲とは推譲で、勤労と倹約によって生み出した余財、蓄えを自分と他人、社会に及ぼすことであります。
この、勤、倹、譲を私たちの日常でどのように実践すればよいかを考えてみましょう。勤とは、日々まじめに努力し働くこと、あるいは勉強することですが、自分が働く場、まなびの場をきれいにするのはすべての基本です。「自分が出したゴミではない」と見逃すのではなく、気がついたからにはそのゴミを片付けましょう。放置するたびに自分の心にゴミがたまっていきます。整理・整頓・清潔・清掃を励行し、まずは自分の心のゴミを取り除きます。場を清める実践はつまり自分の心をきれいにし、美しく保つ実践です。
お金や物を大切にし、無駄遣いしないというのが倹ですが、お金は尊い労働の対価として与えられるものです。あらゆる物は自然の恵みと共に、人間の尊い労働の結果として生まれます。人類の長い長い歴史を経て、人類の英知の結晶として物は存在します。如何ですか。お金や物の裏側には膨大な時間が隠れていませんか。物を大切にするということはつまり時間を大切にすることです。
「時は金なり」といいますが、「時は命なり」です。過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。一瞬一瞬、私たちの限りある命は消費されていくのです。遅刻はやめましょう。時間を大切にしましょう。
尊徳先生は、生み出した財を他人や社会のために役立てましょうと教えています。これが推譲ですが、譲る心がなければいくらたくさんの財産があっても社会のために役立つことはありません。報徳学園に学ぶ私たちはまず、「譲る心」を養わなければなりません。それはつまり「はい、どうぞ!」と差し出す心であり、謙虚な心であり、自我を抑え、礼儀をつくすところから生まれます。
 さあ、さっそく勤、倹、譲、三つの実践に取りかかりましょう。

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