報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2017.3.1]

今月のうた・ことば

三月のことば

見渡せば遠き近きはなかりけり
      おのれおのれが住処(すみど)にぞある

今月のことばには『二宮翁夜話』26話に載っている道歌を選びました。道歌に続く部分では「遠い近いというのは自分の居る場所が定まってから生まれるものである。居る場所が定まらなければ遠い近いはない。たとえば、『大阪は遠い』と言う人がいれば、それは関東の人であろう。『関東は遠い』と言う人がいれば、それは関西の人であろう。(中略)通学するときには近い方が良いと言い、火事が起こったときには遠くて良かったと言う。これをもって知るべきである」という尊徳先生による解説があります。
26話では尊徳先生の「善悪」についての考え方が紹介されています。先生は「善も悪も本来はないもので、人間がいるから善悪の区別が生まれるのだ」と言います。たとえば、人は荒地を開くことを善として、田畑を荒らすことを悪とする。しかし、猪や鹿の立場に立ってみれば開拓は悪であり、田畑を荒らすことが善になる。つまり、同じ事象でも立場によって見方は大きく変わってくるのです。このような考え方をわかりやすく説明するために、「善悪」を「遠近」に置き換えたのが今回の道歌でした。尊徳先生はさらに、「死生」「禍福」「吉凶」「損益」「得失」などの一見対立するものもすべて表裏一体のものであると言います。これが「一円観」です。
報徳講話で習っているとおり、尊徳先生は苦労して復興した生家を処分するという一大決心をして、桜町復興事業に赴きました。先生は身を粉にして働きますが、多くの妨げもあって復興事業は行き詰まっていきます。精神的に追い詰められた先生は桜町を飛び出し、成田山で厳しい断食修行を行うことになりました。しかし、参籠を終えて桜町へ戻ってからは、復興事業は順調に進んでいきます。なぜなら、参籠で一円観を確立したからです。参籠前までの先生は、小田原藩の役人や桜町の村人たちの行動に対して、復興事業の「妨げ」ばかりすると腹を立てていました。しかし、一円観を確立したことで、役人や村人たちの行動にはそれぞれに理由があると気づいたのです。それらの理由を踏まえた施策を行ったからこそ、桜町の復興事業は大成功したのです。
さて、現代の日本では白黒つけたがる風潮が強まり、自分と違う価値観の人間を排除しようとする動きも目立つようになってきました。このような時代だからこそ一円観を学び、多様な価値観をお互いに認め合うことの大切さを考える必要があるのではないでしょうか。また、日常生活でうまくいかないことがあったり、嫌なことがあったりしたとき、どうしているでしょうか。自分の都合だけを考えて、人の悪口や文句ばかり言うような人間になってはいないだろうか。3月という年度の変わり目を迎えるときに、この道歌から自省してみたいと思います。

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