報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2017.5.1]

今月のうた・ことば

五月のことば

夫れ因報の理は、米を蒔けば米が生へ、瓜の蔓に茄子のならざるの理なり。

 因果応報という言葉があります。仏教では、過去や前世の行いの善悪に応じて、必然的な結果・報いがあるという考え方です。しかし、この考え方は一宗教の教念にとどまるものではなく、私たちのどの日常の中にも生きているように思います。
二宮尊徳が抱く基本的な理念に、「天地間の万物は、みな一つの道理によって支配されている」というものがあります。つまり、瓜を植えれば必ず瓜がなるけれども、瓜を植えて茄子がなることはない、ということです。当たり前のこと、何をいまさらと思ってしまいますが、日々の暮らしの中では忘れていることかもしれません。
ある時、尊徳は苦境の中で教えを乞う者にこう話します。「自然の道に外れたことを繰り返して富を築いてもやがて哀しいことになるだけだ。凶作や飢えで民が苦しんでいるときに、そこにつけ込んで不当に巨利をむさぼるのは天も許さないだろう。人が困っているときにはこれを助けるのが人の道だ。ここまで繁栄が続いたのは祖先の徳によるものであったが、それも尽きたためにここにきて災難が訪れたのだ。善の種をまいたのに悪が実ったということはあるまい。ここまでに破滅という種をまいたから、今その破滅の実が熟したのではないか。まさに悪因悪果だ。」なんとも救いのない様に見えますが、こうも話します。「人を恨まず、自らを省みて、私欲を捨てて人のためにでき得ることを懸命にやりなさい。真心が通じるだろう。」
みなさんは学園生活の中で、どのような種をまいているのでしょうか。

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