報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2017.6.5]

今月のうた・ことば

六月のことば
夕立と姿をかへて山里を めぐむなさけぞはげしかりける

1年を通じて雨の多い日本でも、とりわけ6月から7月にかけての梅雨のシーズンには雨の降る日が続きます。うっとおしい季節の到来を前に、今回は雨のことに思いを馳せてみたいと思います。
私たちの地球は、太陽系で唯一水が液体の状態で存在する、まさしく「水の惑星」であります。地球の水の90%は海水と言われており、氷河や川・湖・地下水などの陸水がそれに続きます。これら地球上の水は、太陽エネルギーによって私たちの住む地球の表面を循環しています。海から蒸発した水は陸地に落ちて、ある水は川となって海に戻り、別の水は湖となって大地に留まります。言うまでもなく、それらの水の中にはたくさんの生物が住んでいます。また、我々のような陸上生物にとっても、水からさまざまな恩恵を被っています。生物はみな水と無縁に生きることはできません。
雨は水の循環の中では、海から蒸発した水が水蒸気から水滴に変わって、地上へ落ちてくる現象です。この水は、植物が光エネルギーを使って酸素と栄養分を作る、光合成の原料になります。その栄養分は、植物自身の栄養分となるだけでなく、私たち人間を含む動物が生きるためにも絶対不可欠なものです。慈雨という言葉があるように、雨の水は生命を慈しむ水です。生物は水に生かされ、育てられています。科学技術が進歩した現在においてもそれは変わりません。雨が降らなければ、飲み水にも事欠きます。野菜も米も実りません。
さて、雨は雨でも、雷鳴が轟き渡り激しく地面を叩きつけるように降る夕立はどうでしょうか?命を慈しむ雨とはいえ、恐ろしいような激しい雨の降り方です。これが雨の神様の姿ならば、いったい何が「恵む情け」なのでしょうか。
二宮尊徳の高弟、福住正兄は、この歌を次のように注釈しています。
――夏の夕立は、雷は鳴りはためき、稲妻はひらめきわたり、烈風暴雨、なんとも名状すべからざる暴虐の姿なれど、天心はさにあらで、慈仁より出で、人民のために降らしたまふ潤雨なることは著し。かくのごとく烈しからざれば、炎熱むすごとき暑さにて生じたる、田畑の諸虫死せざればなり――
(夏の豪雨がないと、田畑を荒らす害虫が猛暑によって急に増え、収穫量を減らしてしまう。夕立のおかげでこういう虫たちが死ぬので、ゆたかに作物が実るのである)
人の生活には迷惑でしかないような夏の豪雨は、激しく降るからこそ作物の害虫を殺すことができるのです。それを思えば夕立は、ふつうの雨とは違って激しく降るからこそ、「恵む情け」であるわけです。もちろん尊徳は夕立そのものについて説いたのではありません。夕立という自然現象に託して、人間の世界のひとつの法則を教えたのでしょう。その教えとはいうまでもなく、「困難、困苦こそがありがたいのだ。それによってこそ、人は心のなかの害虫をとり除いて、自分を磨き、成長してゆくことができるのだ。苦こそが恵む情けなのだ」ということです。

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