報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2018.2.5]

今月のうた・ことば

二月のことば
天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す

今月のことばには『二宮翁夜話』第6話に載っている言葉を選びました。第6話は報徳思想関係の話でよく出てくる「天道」と「人道」の違いについて、尊徳翁がわかりやすく説明した話です。「天理(天道)」とは、尊徳翁のあげた例でいえば、田畑に雑草が生えたり、川の堤が崩れたり、溝に土砂がたまって埋まったり、橋の木が腐って壊れたりすること、つまり自然のまま放っておくと生じる現象のことをいいます。それに対して「人道」は、田畑に生えた雑草を取り除いて米や麦を育てること、つまり天のめぐみをうけつつも、自然のままではなく人の手を加えることによって有益な状況を作り出すことをいいます。
人間で考えると、いろいろな私欲を持つことが天理ということになります。しかし私欲のままに生きるということは、田畑に生えた雑草をそのままにすることと同じであると尊徳翁は言います。だから己に克つことこそが人道であるとしました。これがいわゆる「人道作為論」という考え方です。
『二宮翁夜話』第5話でも、人間と野生動物を対比することで天道と人道の違いについて説明しています。野生動物は雨に濡れ、日に照らされ、風に吹かれながら生活している。食べるものも近くに生育している草や木の実を食べ、何もなければ食べることもない。それに対して人間は住居を作って風雨をしのぎ、衣服を作って寒暑をしのぐ。さらには蔵をつくって米を蓄え、いつでも食べられるようにしている。つまり人間は自然のままに生活しているのではなく、作為を“続けながら”生活しているのです。雑草はすぐに生えてくるので頻繁に草抜きをしなくてはなりません。住居や衣服も放っておくと壊れたり汚れたりしていくので、定期的に修繕したり洗ったりしなくてはなりません。米も勝手に生えてはこないので、手をかけながら育てなければなりません。人間は普通に生活しているようにみえながら、実際にはいろいろなことをしてその生活を維持しているわけです。
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」といいます。1月は1年の初めであり、「今年の目標」を立てた人も多いと思います。しかし早くも1月は終わり、もう2月になりました。油断をしていると2月も終わり、すぐに3月も終わってしまうことでしょう。そうならないように、しっかりと目標を定め、強い心を持って取り組んでいくことで、心の田によきみのりを得ていきたいと思います。

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