校長より

中学高校 [2022.5.16]

5月15日 沖縄が日本に復帰して50年

 令和4年、3月に中学3年(現高Ⅰ)と高校Ⅱ年(現高Ⅲ)が修学旅行で訪れた沖縄県のことが、ここ数日テレビ番組で特集されるなど、マスコミで大きく報じられてきました。この「沖縄日本復帰」という言葉を耳にして、実際に沖縄を訪れた諸君だけでなく、全校生の皆さんはどんなことを考えたでしょう。

 私は「沖縄の言語(うちなーぐち)が消滅の危機」「琉球諸語を話せる人が減る一方で、後10数年で絶滅するのではないか」という複数の新聞コラムに目が留まりました。それというのも、現在ロシアがウクライナに侵攻し間もなく3か月になろうとしていますが、言葉を理由に迫害を受けている人々を救うことも侵攻の大義にしていると某テレビドキュメントで知ったからです。ソビエト連邦が崩壊するまでは、ロシア語を話さなければ就くことできない職種があったり、進学に不利になったりと社会的な恩恵が狭められていた時代がありました。1991年12月26日以降に誕生した人々はロシア語も含めて、それぞれの国でルーツとなる言葉を使用してましたが、2014年ウクライナのクリミアがロシアに併合され、ウクライナではロシア語を使うのを忌避する人々が現れ始めたとドキュメントで語られていました。
 戦後、米軍統治下の沖縄でも「進学や就職で益がないから」と伝来の言葉が蔑視されたことも「沖縄の言語(うちなーぐち)が消滅の危機」とつながっています。

 日本にある米軍基地の7割が沖縄に集中しているという現実、世界一危険な軍事飛行場のある沖縄、先送りされてきた基地移転、そして、大切な沖縄の言語(うちなーぐち)消滅、今これらのことを報徳学園の生徒諸君はどんな風に考えているのでしょうか?

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余談
1879年(明治12年)の沖縄県設置(併合)までは、琉球王国は1429年(室町時代)に誕生した独立した一つの王国でした。1609年、現在の鹿児島県を支配していた薩摩藩(島津家)により征服された後も、琉球王国は中国との貿易を進めるために存続を許可されていました。
江戸時代初頭、家康の許可を得た薩摩藩に征服された琉球王国の民の思いを記した文献などを読んでみたくなりました。皆さんはいかがですか?

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