校長より

中学高校 [2024.3.7]

一生もの 尊徳先生の教え

今朝中1の学級で、先生が「今年度、あと何回このクラスの仲間と素読できるか」と生徒に向かって語りかける場面に遭遇しました。教室の後ろで、見守るつもりでしたが、一人の生徒が素読の本を私のところに届けてくれたので、担任の先生に続いて生徒と一緒に唱和しました。
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この素読の時間直後に、硬式野球部の選抜甲子園大会出場壮行会が実施されました。報徳学園はスポーツに限らず、キャリア甲子園など様々な場面で全国の舞台で活躍する生徒たちがいます。支える人たち、応援してくださる人たち、すべてに感謝しながら生徒も関係職員も、今ある場所で力を発揮できるように頑張っています。それら頑張りの源となるのが、尊徳先生の教えだと私は思っています。

昨年この時期に日本中の注目を集めたWBC(ワールドベースボールクラッシック)で侍ジャパンを率いた栗山監督も尊徳先生のことをよく理解されています。栗山監督の著書「栗山ノート」は野球で選手、人を導く立場にある人だけでなく、誰もが手に取って読んでほしい内容が盛りだくさんです。私は入試広報部長に勧められて読みました。読んでみると栗山監督はたくさんの本を読んでおられることが分かります。ご自身の野球・人生経験と読書から得た知識がリンクしていて、この時代の「生き方」を考えさせられる内容もたくさんあるのです。

<私の心に残っていて紹介したい部分>
〇 大船渡高校が県大会決勝で敗れたあの日、もし自分が佐々木朗希選手に声をかけることができたなら、いろいろと言葉が浮かびます。『四書五経』の一つ『礼記』から独立した『大学』から、「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たに、又た日に新たなり」を贈り、昨日よりも今日、今日よりも明日と成長できるように頑張ってほしいと伝えるのがいいか。(中略)
障害があっても一歩ずつ前へ進み、その過程では周囲の人たちに誠実に接する。物事を斜めに捉えずに、真正面から誠実に捉える。そうやって蓄えた力は、いつの日か自分を輝かす光源となる。自分だけでなく、周りの人をも明るく照らす大きな光となっていく。
余談)佐々木選手は私が今年活躍を期待しているプロ野球選手の一人です。外野の心無い言葉にとらわれることなく、一球一球に想いを乗せて投げてほしい。

〇 創意工夫や努力を忘れないためには、順境に驕らず、逆境に怯まない心を持たなければならない。小さな変化に敏感であるために、私は二宮尊徳の「心田を耕す」という教えに惹かれます。私たちが生きている世界のあらゆる荒廃・・・雑草が生い茂って土地が荒れ果ててしまうような状態・・・はすべて心が枯れていたり廃れていたりすることに起因すると、二宮尊徳は説きました。心の田んぼを耕すのです。(中略)
干からびてしまった気持ちで、誰かにやさしくできるでしょうか。手を差し伸べようと思うでしょうか。隣人と水を分け合うよりもまず、自分の喉の渇きを潤そうと考えるはずです。優しさやいたわりの気持ちが広がっていきません。
綺麗に整備されたグラウンドを見ると「心田を耕すとはこういうことだな」と思います。畑に種を蒔く前に黒土を耕しデコボコを無くすことにも似ています。
余談)現代社会において、多くの著名人が二宮尊徳先生の教えを人生の拠り所としています。私は、大げさかもしれませんが報徳学園での日々を残された人生の拠り所としたいと思っています。

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