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[2021.8.1]

今月のうた・ことば

八月のことば

      一円融合

先日、大谷記念講堂で映画鑑賞会があり、映画「二宮金次郎」を鑑賞しました。この映画は報徳生なら必ず読んでいる三戸岡道夫著『二宮金次郎の一生』を原作にしたもので、二宮金次郎役をつとめた合田雅吏さんの熱演もあって、大変見応えのある映画でした(まだ鑑賞していない学年のみなさんは楽しみにしておいてください)。この映画のクライマックスは成田山参籠で「一円観」を得るところです。桜町復興事業に取り組んだ尊徳先生ですが、小田原藩士豊田正作の妨害によって事業はうまく進みません。挫折した尊徳先生は千葉の成田山新勝寺で断食修行を行います。劇中では「禍を転じて福となし、凶を転じて吉となし…」と唱える尊徳先生の姿が印象的でした。21日間におよぶ参籠の結果、尊徳先生が得た境地が「一円観」というものでした。劇中での「人には絶対の善人もないかわりに、絶対の悪人もいない」というセリフが一円観を簡潔に説明したものです。
『二宮翁夜話』26話では尊徳先生の「善悪」についての考え方が紹介されています。先生は「善も悪も本来はないもので、人間がいるから善悪の区別が生まれるのだ」と言います。たとえば、人は荒地を開くことを善として、田畑を荒らすことを悪とする。しかし、猪や鹿の立場に立ってみれば開拓は悪であり、田畑を荒らすことが善になる。つまり、同じ事象でも立場によって見方は大きく変わってくるのです。尊徳先生はさらに、「死生」「禍福」「吉凶」「損益」「得失」などの一見対立するものもすべて表裏一体のものであると言います。これが「一円観」です。参籠前までの尊徳先生は、小田原藩の役人や桜町の村人たちの行動に対して、復興事業の「妨げ」ばかりすると腹を立てていました。しかし、一円観を確立したことで、役人や村人たちの行動にはそれぞれに理由があると気づいたのです。それらの理由を踏まえた施策を行ったからこそ、桜町の復興事業は大成功したのです。
クラスや部活動のなかで意見が食い違うこともあるでしょう。そんなとき、一円融合という言葉を思い出してください。自分が絶対ではなく、みんなの意見を聞いてみんなが納得できる方法を全員で探していけるようになれば、きっと良い活動ができることでしょう。

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