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中学高校 [2015.8.8]

報徳教育部より  「今月のうた・ことば」更新

八月のことば
日々日々に積もる心のちりあくた あらひながして我をたづねん

 人間はともすれば楽な方へ楽な方へと流されます。楽しいことがあると自分のなすべき事も後回しにして楽しみを追求し、してはいけないとわかっていても自分が得をしたり楽をしたりするためについついこれをしてしまいます。時には気づかないまま人に迷惑をかけたり、いやな思いをさせたりすることもあり、後になってはっと驚きます。一切の欲望、他者に対して怒りや憎しみを懐くこと、その結果自分の心身を悩まし、煩わせ、苦しめること、このような心の作用を仏教で煩悩といいます。
 過失や煩悩があるのは人間の常として、日に日に積もり重なり、私たちの心は汚れていきます。論語の学而第一には「過ちては則ち改むるに憚(はば)かること勿(な)かれ」とあり、過ちに気づけば即座にこれを正すことの大切さを教えていますが、過失と知り、間違っていると気づいていてもなかなか改めないことがあります。
 日々心に積もる汚れを洗い流せば、どれほどすっきりとして気持ちの良い日常を送ることができることでしょう。清らかな心を持つ自分と出会ってみたいと思いませんか。どうすれば心の清らかな自分を作ることができるのでしょうか。
「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を報徳の4綱領と呼びます。
「至誠」とは人間として誠実であることで、自分に対しても社会に対しても誠をつらぬき、物事の本質を理解して、精力を傾け実行することによって豊かな生活を得るという「報徳」における基本です。
「勤労」とは、勤勉であること。すなわち、何事にも全力でまじめに取り組み、自分のなすべきことに励むということです。また、人間の生活を支える物品を積極的に産出することです。
 「分度」とは、例えば20万円の収入があれば、半分の10万円という限度を設けてその範囲内で生活を立て、残り半分の10万円を自分の将来や世の中に役立てるというように、一定の限度、分限を設けることです。
 「推譲」は差し出し譲ることです。分度を立てて生活することによって自分の生活を支えるのには必要のない、いわば余剰が生まれます。その半分を自分や家族の将来のために蓄え、もう半分を世の中に役立てるために差し出すということです。前者を自譲、後者を他譲といいますが、これを実践すれば自分の生活は安定し、さらに世のため人のためにもなります。
 しかし、自譲、つまり自分の将来のためや家族のための蓄えはできますが、他譲はなかなか実践できません。せっかく儲けたお金をどうして他人に譲る必要があるのでしょう。ごく簡単に言うと、自分の財を差し出し、世のため人のために役立てていただくことにより、まず社会が豊かになり、それが回りまわって自分にも返ってきて、自他共に生活が向上すると考えればいかがでしょう。
このように、報徳の4綱領を実践することにより、自分自身世に有為な人材となり、幸福な生活を送ることができ、清らかな心を有した自分に出会うことができるでしょう。

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