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今日明日 高Ⅲ模試

年度がスタートして(1年の六分の一)2か月が経過しました。今日明日、高校Ⅲ年は模試を受けます。

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答案用紙に向かう生徒の姿を見て、昨日の図書館で見かけた生徒の姿がよみがえりました。昼の休憩時間、寸暇を惜しんで学習していたのではなかったか。放課後、夏の総合体育大会 インターハイ出場に向けて仲間たちと部活動に集中する為に、ひねり出したわずかな時間。 貴重な時間。

 勉強と部活動をともに頑張る文武両道や文武一道という言葉を聞いたことはありましたが、先日「文武不岐(ぶんぶふき)」という言葉があることをある雑誌で知りました。(62歳過ぎても知らないことが多い私)「文武は別のものではなく、一方の頑張りは一方の結果につながっている」という捉え方だそうです。
そうは言っても、一人一人能力も違えば、学習にかける時間も異なります。高校時代、「どうして僕をもっとかしこく産んでくれなかったの?」なんていう酷い言葉を母に投げかけた私は、その時母の頬にかかる小さな川を見たおかげで、「自分は〇〇のように、かしこくはないけれど、時間さえかければ、〇〇のようなかしこい奴に近づける」と考え、その日以来、模試や考査を逆算して、日々時間を使うようにしました。過日、進学説明会でご講演いただいた屋木先生も以下のように話されていましたね。三年生諸君!
   「伸びる生徒の共通点=将来(夢)から逆算して行動を起こす」
学校の学びがすべてだった私、決して伸びた生徒ではなかった私の場合、将来(夢)というよりも、とにかくテストで8割以上の得点結果、英語は可能なら満点を取りたいというただそれだけの目標のためでしたが。

      図書館で、わずかな時間を必死に頑張る報徳学園生

部活動(スポーツ)で全力、学習で全力、それが報徳学園生徒の素晴らしいところだ!

私はそんな素晴らしい君たち、報徳学園生の夢や目標を聞きたいんだ!

これを読んだ学園生諸君、いつでも私に声をかけてください!

今月のうた・ことば

六月のことば

「注文に載せられずといえども勤むる処なり」
 およそ事このごとくなれば、成就せざる事なし

 江戸時代の寺子屋で、教科書として用いられていた『庭訓往来(ていきんおうらい)』という書物があります。今月の言葉は、尊徳先生がこの『庭訓往来』のなかの一節について感想を述べている箇所から採りました。引用部分は「注文には載せられていないけど、必要かと思ってお送りしました」という文脈なのですが、これだけでは意味が分からないので、書名も含めて解説します。

「庭訓」とは家庭内での教育のことで、かの孔子がなかなか学問に身が入らない息子に庭先で教育した故事によります。「往来」とは手紙のやり取りのことです。「庭訓往来」は架空の人物同士の手紙のやり取りを通じて、子供に当時の一般常識や難しい語句を教えるものです。現代でいえば国語と社会科の教科書といったところでしょうか。冒頭の一節は相手に「客をもてなすのに必要だからこれらのものを用意してほしい」といって色々な食材を注文した返信の部分です。頼まれた方は、食材はもちろん、ろうそくや燭台や火鉢といった、注文には書かれていないものも用意してくれていました。頼んだ方は食材に頭がいっぱいで、調度品には気が回っていなかったのです。この部分に対して、尊徳先生は何事もこういう風に、頼まれた以上のことを心を尽くして務め励めば、志が成就しないことはない、といっています。「至誠」を教えるエピソードといってよいでしょう。

現代でも「頼まれごとは試されごと」という言葉があります。これは中村文昭さんというレストラン経営の実業家の言葉です。「相手の予想の上をいくようなアウトプットを出すことで、誰よりも信頼を勝ち取ることができる。頼まれごとはチャンスだと思って全力で取り組みなさい。」というメッセージです。家庭で、教室で、クラブで、様々な「頼まれごと」があると思います。はじめは面倒に思うかもしれませんが、そもそも一定の信頼があるからこそ頼まれるわけでもあります。一つ一つまごころを込めてやってみましょう。