月別アーカイブ: 2022年2月

第24回冬季オリンピック 北京大会

冬季オリンピック 北京大会が始まりましたね。大学受験真っただ中の高校Ⅲ年生諸君にとっては、それどころじゃないかもしれません。私もそんな学生の一人でした。何か、不安や心配事で心を占めることがあるとその他のことが目に入ってこない手につかないタイプでした。不安や心配事と言えば、かつてない大雪になっている北海道、ウクライナへの侵攻を懸念してロシアを訪問したフランス、毎日新型コロナで、たくさんの方々が亡くなっている日本、目前になった私立高校受験、数え上げたらきりがありません。

<それでも、この機会に皆さんと一緒に考えたいこと>
4年に1度開催されるオリンピックは、アスリートにとって特別な意味を持っているのは疑いのないものです。種目別の世界大会(での記録や入賞)との大きな違いは、何でしょうか?注目度の違い?4年に1度だから?オリンピアンの響き?メダリストという名の称号?
新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、1年延期された夏のオリンピック 東京大会が終わって1年も経たないうちにやってきた冬季オリンピック 北京大会が始まりました。
メダルに届かず涙する選手を見るたびに、せつない気持ちになってしまいます。メダルに届き歓喜する選手たちがいる一方で、メダルを手にしながらも悔し涙する選手もいます。テレビのモニターから喜び、悲しさ、悔しさなど、選手の感情が伝わってきます。
私自身、スポーツの盛んな進学校 報徳学園の一員としてだけでなく、まだ種目にすらなっていなかった空手競技で、小学校時代からオリンピック出場を目指す一人の青年をずっと見て応援してきたものとして、オリンピアンを目指しているアスリートの「努力」がどんなものか少なからず知っているものとして、選手に感情移入してしまうのです。
メダリストについては、競技者として、社会人として、家庭人として、様々な個人情報(本人の了承の下でしょうが)が視聴者に知らされます。メダルに届かなかった人も、競技後の一挙手一投足がテレビだけでなく、SNSなどで視聴者の批評の的になります。
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報徳学園からアスリートとして世界を目指す生徒諸君
顧問の先生やコーチ、先生方から指導されているだけでなく、幼いころから見守ってく下さったたくさんの方々から、ずっと言葉をかけられ導かれてきたと思いますが、あえて一言言わせてもらいます。
「競技者である前に一人の人間として、どのような生き方を目指すのか、この報徳学園で共に学びましょう」

追記
オリンピアンに限らず、アスリートの中には、競技に全力で取り組みながらも社会貢献活動をしている選手がいます。その心に宿るものに、皆さんの心をよせてみませんか?
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夕日を背に、学園生の社会貢献を期待している尊徳先生座像

<この機会に オリンピックについて>
紀元前9世紀ごろギリシアで、宗教行事として1000年以上実施されていた古代オリンピックは、宗教的に大きな意味のあり、戦争を中断してでも参加しなければならなかったようです。(聖なる休戦)
ギリシア人以外は参加できなかった古代オリンピックは、ローマによる地中海全域支配により393年の第293回オリンピック競技大祭で終焉の時を迎えました。
古代オリンピックの火が途絶えて1500年の時が流れた1892年、フランスのクーベルタン男爵によりオリンピック復興の構想が「ルネッサンス・オリンピック」と題する講演の中で語られ、1896年、第1回大会がギリシアのアテネで開催されました。

1924年、第1回冬季オリンピック シャモニー・モンブラン大会(フランス)が開催され、日本は第2回サンモリッツ大会(スイス)に初出場し、スキーのノルディック種目の選手6人と監督1人計7名で参加しました。

現在開催されている冬季オリンピック 北京大会は冬季としては24回を数え、前回の平昌大会(韓国)よりも1か国少ない91か国が参加しています。
過去の冬季オリンピックの中で、日本は第5回大会の候補地(札幌大会)となりましたが、日中戦争により中止となり、戦後1972年に35か国の参加を得て第11回札幌大会を 1998年に72か国の参加を得て第18回長野大会を開催しました。夏のオリンピックも含めて、それぞれ2回ずつ開催できるなんて、日本という国は凄い国です。
※ 日本の夏のオリンピック:1964年 第18回東京大会(93)・2021年 第32回東京大会(205) ( )内は参加国・参加地の数

柔道部 第63回近畿高等学校柔道新人大会(団体試合)

日時  令和4年2月5日(土)

会場  和歌山ビッグウエーブ

結果
<団体戦> ベスト16
 (1回戦)報徳  シード
 (2回戦)報徳 ◎( 不戦勝 )  和歌山工(和歌山県)
 (3回戦)報徳  (2人残し)◎ 比叡山(滋賀県)

以上の結果となりました。
県新人戦での結果より、本校は兵庫県3位校として出場しました。
2回戦は対戦校が棄権のため、不戦勝となりました。
3回戦では、本大会の準優勝校である比叡山高との対戦となりました。比叡山は中・軽量級中心のチームではありますが実力のある選手が揃っており、本校の選手は相手に組手を徹底して抑えられてしまい、持っている力を出し切ることができず2人残しでの敗退となりました。
この大会での反省点をしっかりと見直して、今後の大会に向けて一層努力をしたいと思います。ご声援ありがとうございました。

私立大学入試真っ只中 報徳生の健闘を祈ります

2月に入り、阪神間では立春の今日まで4日間中3日間は朝日の登る天候が続いています。
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私立大学一般入試の真っ只中、高校Ⅲ年生の教室前や蟻田記念館の自主学習教室前を「報徳生は力を存分に発揮できているだろうか」と思いながら毎日歩いています。

私自身、今から46年前の2月1日を初日に京阪神間の私立大学を数校受験しました。ふるさとが丹波市(当時は氷上郡)なので、泊を伴う受験もありました。畳の大部屋で多くの受験生と雑魚寝して、翌朝雪の降る中バス停まで歩き、受験校に向かったこともあります。途中、雪の積もった歩道橋で、足を滑らせてしまいズボンが破れてしまい、膝小僧をすりむきながら受験したのも今となっては思い出です。私のようなドジな報徳生はいないと思います。

当時を振り返ってみると、受験初日を終えるとその後、嘘のように緊張感が少なくなったことは確かです。極度の緊張感が続かない私でした。それが良かったのか悪かったのかは分かりません。緊張を強いられる「試験」と名の付くものを40歳を過ぎても50歳を過ぎても何度か受けることになりました。社会人となってからもステップアップのために「試験」は不可欠だったのです。
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立春早朝の河川敷:大学でも走り続ける高Ⅲ陸上長距離部員 ステップアップのために努力し続ける姿

一般入試で頑張っている皆さん、皆さんの挑戦は皆さんの人生で、きっと意義あるものとなるはずです。少なくとも、私の経験からは断言できます。すべてがうまくいったわけではありません。うまくいかなかったことも含めて、今があります。そして、その今を支えてくれたたくさんの人々の中に両親がいます。
成人するまで学業に専念させてくれた両親、大学受験をさせてくれた両親、下宿生活を許してくれた両親には感謝しかありません。今あるのはすべて両親のおかげといっても過言ではありません。

報徳訓より
「身体の根源は父母の生育に在り」「吾身の富貴は父母の積善に在り」なのです。

推譲会 生活指導部講演会

2月2日(水)大谷記念講堂で、神戸市立医療センター 男性外来・石川クリニックの石川英二先生にお越しいただき「情報過多の中で1人悩む男子の性:男子思春期外来と性教育の経験から」と題して講演していただきました。石川先生は「学校に、性教育デリバリー」ということで活動を続けておられます。(私個人の感想でたいへん申し訳ないのですが)石川先生はとても気さくな方でした。先生の人柄が現れた言葉遣いのおかげで、その内容はもちろんのこと、とても親しみやすい講演でした。
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(余談)
午前中、推譲会本部委員会の冒頭校長あいさつで「明日は節分、お子さんたちと豆まきされたこともあったと思います。まだ下にお子さんがおられたら豆まきをされるのでしょうね。今は恵方巻がどちらの方角かしらとか、イワシは買ってきたので料理できるけれど、ひいらぎはどうしようかしら等、食事の支度でお悩みかもしれませんね」の言葉に頷いてくださる方もあり、毎回何を話そうかと迷い困っている私は少しホッとしました。新型コロナウイルス オミクロン株による感染者が増加している中、午前中からお越しいただいた推譲会役員の皆さんを始め、午後講演を聞きにきてくださった皆さんのご家庭の「鬼」がしっかりと打ち払われ、「福」がやってきますように。「鬼」は外(あにはーそと)!「福」は内(ふくはーうち)!という思いであいさつさせていただきました。

推譲会生活指導部講演会

2月2日(水)午後2時から本校の大谷記念講堂において、令和3年度生活指導部講演会が行われました。今回は、講師として神戸市立医療センター中央市民病院泌尿器科男性外来・石川クリニックの石川英二先生をお招きし、「情報過多の中で1人悩む男子の性:男子思春期外来と性教育の経験から」のテーマでご講演いただき、ネット情報に振り回された性の悩みについて、泌尿器科医の立場からお話しくださいました。
 新型コロナウイルス感染症の予防対策として、参加人数を制限して行われました。参加していただきました保護者の皆様におかれましては、約1時間30分の講演でしたが、有意義な時間を過ごすことができたのではないでしょうか。

R3年度生活指導部講演会③s

R04+2月のことば

今月のうた・ことば

二月のことば

我が道は恕(おもいやり)をもって要(かなめ)とす

今年度も残すところあとわずかとなりました。この一年間で、みなさんは多くの人たちと関わり合いながら生活してきました。家族、クラスメイト、担任、クラブ部員、顧問、コーチ・・・、そういった人たちとどのように関わっていますか。また、どのように関わるべきなのでしょう。
『論語』に次のような言葉があります。

『子(し)貢(こう)問いて曰(いわ)く、「一言(いちげん)にして以(もっ)て終身(しゅうしん)之(これ)を行う可(べ)き者有りや。」
子(し)曰(いわ)く、「其(そ)れ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲せざる所は、人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ。」』
子貢という人が、「人生を終えるまで行い続けていくべきものは何でしょうか」
と先生(孔子)に尋ねたところ、先生は、「それは恕(じょ)(思いやりの心)である。
恕(じょ)というのは自分が人からされたくないことは、人にもしてはならないということだ」と答えた。

ここで出てくる「恕(じょ)」とは「思いやり」、つまり「相手の気持ちになって考える」ということです。みなさんは日々これを実践できていますか。多くの人がある程度、実践できていると思います。しかし、機嫌が悪いときにトゲのある言葉を発してしまったり、親しい関係であるが故に汚い言葉を使ってしまったり…、そんな経験はないでしょうか。「自分がしてほしくないことは相手にもしない」これは当たり前です。逆に「自分がしてほしいことを相手にもしてあげる」「相手の気持ちを想像して行動する」といったことができると、自分の所属している集団がよりよいものになるのではないでしょうか。尊徳翁も人の気持ちを思いやる精神を大事にしてきたからこそ、多くの村々を救済し、また尊敬される存在になったのだと思います。報徳生もそんな思いやりのある、誰からも愛される存在になってくれることを願っています。