[2024.10.1]
十月のことば
丹精は誰しらずともおのづから
秋のみのりのまさる数々
この道歌は、『二宮先生道歌選』の中の一首で、「丹精の歌」という名がついています。丹精し精励している人の仕事は、誰も見ていなく褒められなくても、秋になれば収穫が多く、その収穫物の質もよいでしょう、という意味です。
「丹精」とは真心、手抜きなく心を込めて打ちこむ、という言葉です。昔は、代掻きと言って、田植えをする前に、田に水を入れ土塊を砕き、土を掘り返して、地面をかきならしました。田植えをすませたら、草取り作業に精を出し、刈り取り作業では背をかがめ、多くの苦労がある中で稲作を行いました。そうした丹精をかさねたか否かが、歴然と秋の収穫の差となってあらわれます。
人間の心は、すぐに甘えや怠惰に支配されてしまいがちです。また、周りの評価を気にして行動しがちです。本当に自分のため,家族や周りの仲間のために努力の必要性を感じた時、真心を持って本気で取り組めるようになるのでしょう。そのきっかけを掴み,行動に起こせるか否かが重要だと思います。また、丹精を込めて努力をすれば、多くの可能性が生まれ、高い目標を実現できるようになります。
前期も終わり、今年度の半分が経ちました。前期は学習面やクラブ活動の面でどのような取り組みができたでしょうか。心を込めて打ち込める事柄はあったでしょうか。この歌にあるように、努力すればしただけの結果は必ずついてきます。今の努力がすぐ結果にあらわれないことも多いかもしれませんが、後には大きな成果となって、自分にかえってきます。前期、日頃の取り組みに甘えがあって、怠けてしまった生徒は、後期に向けて気持ちをリセットし、新たな目標を立ててください。「丹精」を込めて取り組めるきっかけを掴んでください。
後期、多くの報徳生が自分の無限の可能性を信じて、学習面やクラブの面等で手抜きなく心を込めて打ち込み、多くの成果を上げることを期待しています。