報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2019.7.1]

今月のうた・ことば

七月のことば

見渡せば迷ひさとりはなかりけり
  おのれおのれが心にぞある

 この言葉は、二宮尊徳先生の道歌の一つです。現代版報徳全書の『解説 二宮先生道歌選』の中では次のように解説されています。

迷いと悟りとが別々の心証のように感じられるが、その実は同一人の心が迷いの世界にあるか悟りの世界にあるかの差があるだけだと、この歌は述べている。
迷いというのは悟りの生活が開闢(かいびゃく)した時に自覚せられる。過去の生活に過誤のあったことを見いだし、その誤った生活を迷いであったと反省したから、悟りの生活に入るのである。

近年、2005年以降生まれの人を「さとり世代」と呼ぶことがあります。これまでの世代のような物欲がなく、全ての面において効率と安定を求め、自分の限界を超えたチャレンジをしない。このような姿があたかも全てのことを達観しているような世代であることから、このように呼ばれています。しかし、ここで尊徳先生の歌をもう一度見ると、迷いがなければ、悟りは生まれないとされています。迷いとは、ああでもない、こうでもないと大いに頭と心を動かし、悩み抜いた末に何らかの判断をすることです。この経験なしに、それぞれの心が「悟りの世界」に入ることはないということです。現代の社会は、大変便利な世の中になっています。日常生活で必要なものはすぐに手に入り、リアルタイムの情報もインターネットを通じて瞬時に目にすることができます。このような環境において、自らを「悟りの世界」に高めるために必要なことは何でしょう。それは、あえて「面倒な方、厳しい道」を自らの意志(おのれの心)で選択することです。その「迷い」の積み重ねが本当の意味でも「悟り」に繋がっていくのではないかと思います。

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