報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2016.11.1]

今月のうた・ことば

十一月のことば
 わが道は分度に在り。分は天命なり。度は人道なり。
 分定まり度立って、譲道生ず。譲は人道の粋なり。

 二宮尊徳先生は天地自然と人間との関わりを深く深く考えられ、人間も他の動植物同じく、自然と調和して生きていかなければならないと知っておられたのでしょう。尊德先生は幼い頃、付近を流れる酒匂川の度重なる氾濫で一家は田畑を流失し、貧乏のどん底を経験しました。一家がどんなに苦労しても、それとは無関係に自然の運行は続きます。
 父が病弱なため、少年金次郎は父の代理として酒匂川の堤防工事に出ます。12才の頃でした。大人と同じように働けないことを歯がゆく思い、「早く大人にして下さい。」と天に願ったそうです。さらに力不足を補うために毎晩草鞋を作り、翌日堤防工事で草鞋が破れた人々に差し出しました。松苗が売れずに困っている老人から売れ残った200本を買い上げ、酒匂川の土手に植えました。そして時間があれば松苗の手入れをし、川の流れをじっと見詰めていました。
 そして、14歳で父が、16歳で母がなくなり、哀れに思った村の人々がわずかに残された田地に田植えをしてくれるも、再び酒匂川が氾濫して田地を流失してしまいます。無情とも言える自然の運行です。
 しかし、金次郎はこのような厳しい状況にあっても、常に何か自分にできることはないかと工夫を凝らし、手間をおします苦労をいとわず事にあたりました。天から与えられた境遇の中で、人としてできることを精一杯尽くしました。
 分度の分は天命で、天から与えられた使命であり、天から受けた運命です。少年金治郎が、天から与えられた無情とも言える運命を恨んだかどうかわかりませんが、人道の限りを尽くしたのではないでしょうか。ここに「分」と「度」、自然と人間の調和を感じるのであります。
 天地自然には何等意図がなく、その絶大な生成化育のエネルギーはすべてのものに等しく及びます。稲も育てば雑草も育ちます。益虫が育てば害虫も育ちます。害・益はあくまでも人間の都合による見方です。
 天から与えられた使命と運命、これに基づいて人間が果たすべき勤め、ここから「分度」が生まれます。私たちが個々に与えられた状況で果たす役割、つまり、「ここまではやらなければ!」とか、「これ以上はダメだ。」と言った「わきまえ」、「限度」であります。
 報徳の4綱領は、至誠・勤労・分度・推譲です。至誠・勤労~一生懸命働いて生活に必要な物品を産出し、分度・推譲~分度を立てて産出した物品をむやみに費やさずに余剰を蓄え、これを自分の将来や世のため、人のために押し譲るというのが、「推譲」までのプロセスです。
 推譲は金品を押し譲るだけではなく、自分の時間を費やして手間を掛けて何かをして差し上げること、相手を認め相手のいうことを受け入れること、つまり心の上での譲りも含みます。経済的に自立していない中高校生に金品の推譲は求めるべくもなく、それよりも心の上での譲りを身につけていただきたいと思います。自己主張のみで相手を受け入れることができなければ、争いは絶えません。争いがなく、物心ともに平和で豊かな社会を実現するのが人間の使命とすれば、その根幹をなすのが推譲の精神です。「譲は人道の粋なり。」

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