報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2017.1.10]

今月のうた・ことば

1月のことば
     我が道は至誠と実行のみ

新年を迎えました。新たな気持ちで、新年の目標を掲げた人も多いのではないでしょうか。今月の言葉は「我が道は至誠と実行のみ」です。尊徳先生の教えの中心ともいえる言葉です。至誠とは真心を込めるという意味です。「真心を込めて行動する。」このことの大切さを、これまでの人生の中で体験した人は多くいると思います。例えば、私たちの身近なところで考えると、勉強とクラブ活動にもこれがあてはまるのではないでしょうか。ただ単に勉強する事と、「テストで良い点数が取りたい。」「○○大学に合格したい。」と目標を掲げて気持ちを込めて勉強するのとでは、大きな差になります。クラブ活動でも、「全国優勝したい。」という目標を掲げて気持ちを込めて練習するのと、ただ与えられたメニューをこなすだけとでは、大きく結果が変わってきます。
 次に実行について考えます。やらなければいけないことはわかっているけど、なかなか行動に移せない人や、やっているがどのように行動にしたらよいかよくわかっていない人、どう行動すればよいかわかっている人、様々な人がいますが、実行で成果をあげたいときには、具体的な目標設定が大切です。また大きな目標(将来的な目標)と小さな目標(身近な目標)をしっかりと定めることが成果につながります。尊徳先生が数々の偉業を成し遂げられたのは、目標設定が上手かったのではないでしょうか。
二宮翁夜話に書かれている尊徳先生の言葉を紹介します。

我が道はもっぱら至誠と実行にある。だから鳥獣・虫魚・草木にもすべて及ぼすことができる。まして人間はいうまでもない。それで、我が道は才知・弁舌を尊ばない。才知・弁舌では、人には説くこともできるが、鳥獣・草木を説くことはできない。それでも鳥獣には心があるから、あるいは欺けるかもしれないが、草木を欺くことはできない。我が道は至誠と実行なのだから、米麦野菜、瓜でも茄子でも蘭でも菊でも、みんな繁栄させるのだ。たとえ孔明を欺く知謀があり、蘇秦・張儀を欺く弁舌があっても、弁舌をふるって草木を茂らすことはできまい。だから才知・弁舌を尊ばずに、至誠と実行を尊ぶのだ。古語に、「至誠は神のごとし。」と言っているが、「至誠はすなわち神」といっても悪くはないだろう。およそ世の中は、知恵があっても学があっても、至誠と実行とでなければ事は成らぬものと知るべきだ。
 
 いくら知識があっても、人を説き伏せる話術があっても、そこに至誠がなければ、いずれその人に対する信用は無くなります。これはすべての事象に共通します。尊徳先生の一生を学習する中で感じることは、尊徳先生のすべての行動に至誠が備わっているということです。だからこそ後世まで名前が残る偉人となったのだと思います。
 2017年、私たちも新たな気持ちで至誠のある実行を心がけたいものです。

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