報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2017.2.2]

今月のうた・ことば

二月のことば
               恩を思うの道

 人間はこの世の中のあらゆるものが循環してることを見失い目先のことばかりを追いかけると、今の恩徳を感じられなくなるものです。また、自分のことばかりを心配して、周りが見えなくなってしまえば、余計に不幸なことばかりを思い幸福であることに気付けなくなるように思います。
 二宮翁夜話に書かれている尊徳先生の言葉を紹介します。

世の人情の常で、明日食べるものがないときは、他に借りに行こうかとか、救いを乞おうとかする心はあるが、さていよいよ明日は食う物がないときには、釜も膳椀も洗う心もなくなるという。人情としては、まことにもってもっとものことであるが、この心は困窮がその身を離れない根源である。なぜなら、日々釜を洗い、膳椀を洗うのは、明日食うためで、昨日まで用いた恩のために洗うのではないというのだが、これは心得違いだ。たとえ明日食べる物がなくても、釜を洗い膳も椀も洗い上げて餓死すべきだ。これは、今日まで用いてきて、命をつないだ恩があるからだ。これが恩を思う道だ。この心のある者は、天意にかなうから、長く富を離れないであろう。富と貧は、遠い隔たりがあるわけではない。明日助かることだけを思って、今日までの恩を思わないのと、明日助かることを思うにつけて、昨日までの恩を忘れないのとの二つだけのことで、これは大切な道理なのだ。よくよく心得るがよい。

 困窮が離れない根源は、恩を忘れるからだと言います。そして天意に適い富が離れない理由は恩を思うからだと言います。そして昨日までの恩を忘れないことが何より大切な道理だと言います。
 また、恩という字は、「因」と「心」、また「因」は□(しかく)と一と人という字から成り立っています。深い「因」を忘れずに思う心が「恩」であり、一人の生存につきいかに四囲四辺の恵みを受けているか、その心根をさす言葉が「恩」であると言います。
今振り返ってみると、皆さんはどんな「恩」を受けていますか。目先のことばかりに捕らわれ人から受けた善行を忘れていませんか。人は一人では生きてはいけません。今の自分があるのは、色々な人の支えがあったからこそではないでしょうか。朝起きてから夜就寝するまで、一日の中にも色々な支えを感じることができると思います。その「恩」を一度振り返ってみてください。たくさんの感謝の心が芽生えてくると思います。何かを頑張り成果が出たとき、人は祝福を受けたいものです。しかし、「恩」を忘れた者に祝福は訪れないと思います。勉強やスポーツは自分のために頑張ることはもちろんですが、「恩」を忘れず、人のために頑張るからこそ成果を残せるものではないでしょうか。
尊徳先生は「報徳」は「恩」に報いることが徳であるとしました。「恩」を頂いて今があることを忘れず、人のために頑張れることこそが必要なことであると思います。

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