報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2016.7.1]

今月のうた・ことば

七月のことば
ひとのとりえを そだてよう じぶんのとりえを ささげよう
とりえとりえが むすばれて このよはたのしい ふえせかい

江戸時代後期は天候不順が多く、飢饉がたびたび全国を襲いました。また、商業が盛んになり、貨幣経済の進展と共に社会構造が変化し、特に農村においては多くの人々が苦しい生活を強いられことになりました。二宮尊徳先生はこうした農村の立て直しに尽力し、生涯を通じて600余ヵ村の農村復興を成し遂げたと言われています。もちろん全て自分が直接行ったわけではなく、尊徳先生の指導の下、門人と言われる人々が行ったものも多数あります。このような中、あらゆる復興の原点となったのが分度を定め、これを確実に守ることです。分度とは、あらゆることの分量をはかり、何の用途にどれだけ費やすかの度合いであり、分限、限度です。
尊徳先生が35歳の時、小田原藩主大久保忠真公より、下野国桜町の建て直しを依頼されます。桜町は大久保家の分家、宇津家所領の地で、生産力が著しく低下し、宇津家から何度目かの借金を大久保公に申し入れがあったときのことでした。本家からの借金を重ねなければならない状況であっても、立て直しにあたって尊徳先生は「入るを量って出るを制する」以外に方法はないとして、分度を確立します。収入に見合った支出を設定し、努めて余財を生み出し、これを立て直しの資金とします。つまり分度とは、余財を生み出すための積極的な方法であり、分度によらずして余財を生み出すことはできないのであります。
以上は桜町で生み出した余財を桜町復興のために役立てるという、いわば閉じられた系における分度と余財の活用ですが、このアイデアを押し広げ、分度によって生み出した余財を広く世のため人のために役立てるのも「推譲」です。「余裕があれば推譲しよう」では、推譲はできません。「自分の分限はここまで」と明確に線を引き、努めて余剰を生み出さなければなりません。
さて、分度と推譲につき、金銭的、経済的なとらえ方をしてきましたが、これを私たち人間の行動や心に当てはめると「報徳のおしえ」になります。日々まじめに努力を積み重ねることにより、自分の生活は安定し、周りの人々にも良い影響を与えます。毎日よく勉強し、部活動などに打ち込めば様々な知識や技術が身につき、自分自身が成長すると共にクラスやクラブの仲間、そして家族とも良好な関係を築けるのではないでしょうか。
生徒として、家族の、さらには社会の一員として、なすべき事があり、またしてはならないこともあります。ここに一線を画して、なすべき事に精一杯の努力を傾けることで、その人なりの良さが生まれます。二つとして同じものはない自分だけの「持ち味」をみんなが発揮して、これをうまく活かせばこの世の中はきっと誰もが願う平和で物心共に豊かな、すばらしい世の中になることでしょう。「持ち味」の発揮は、報徳のことばで言えば推譲です。これに思いをいたして日々を過ごしていきたいと思います。
『万象具徳』   どんなものにも よさがある   どんなひとにも よさがある
         よさがそれぞれ みなちがう   よさがいっぱい かくれてる
         どこかとりえが あるものだ   もののとりえを ひきだそう
         ひとのとりえを そだてよう   じぶんのとりえを ささげよう
         とりえとりえが むすばれて   このよはたのしい ふえせかい
                                  佐々井 典比古 作
*「ふえせかい」は「増え世界」(限りあるものから限りないものが生み出される)ことです。

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