報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2016.8.2]

今月のうた・ことば

8月のことば 
 日陰をばおしみて骨をおしまずに
   誠尽してつとめ励めよ

 今月の言葉は、校祖大江市松翁のことばから選びました。今回は、少し尊徳先生から離れ、市松翁の話をしたいと思います。
 本校設立ののち、翁は月に一度の「自彊会」での談話会をとおして、生徒と直接関わりを持ちました。各クラスから生徒代表が出席し、弁論大会のようなことを行っていました。それが終わると、茶菓子がふるまわれ、翁の処世訓をまじえた「報徳訓話」が行われました。また、翁は自らを「知怒乃有楽人(ちぬのうらびと)」と号し、毎月「なみのおと」と題した小紙を、亡くなる直前まで、10年あまり継続して発行し、生徒の教化に努めていました。今月の言葉も、そこに収められていたものです。
 翁はものごとを教えるとき、なんでも婉曲に教えたと言います。よく「すずめの一番最初に鳴いた時刻を書いてこい」という宿題を生徒たちに出したそうです。これはもちろん、早起きを教えるためです。また、トイレの使い方が汚い場合は、それをことさらに言うのではなく、そっと狂歌を張り付けておいたそうです。
 当時の卒業生の話では、「人間というものは米であるとか、かつおぶしであるとか、石けんのような人間にならなければいかん」ということをよくおっしゃっていたとのことです。お米というものはかんでいても甘くも辛くもない。何にも味がしないのにいくら食べても飽きない。かつおぶしはかめばかむほど味が出てくる。かつおぶしは自分の身を削って人に栄養を与える。石けんでもそのとおり、自分の身を削って人の身体をきれいにする。こういうようにしなければ、人間は成功できないということを、当時の生徒たちは何度も聞かされたそうです。まことに千金の価値のある言葉だと思います。
大江市松という人は、父祖から継いだ事業を拡大し、利益を上げることを目的とした人生を歩みませんでした。息子の大江精一先生は、事業家というより、教育家、道徳家としての側面が強かったと振り返っています。そのような翁の思いが結実したのがここ報徳学園です。次の卒業生のエピソードは、市松翁が、報徳学園が、どのような人間を作りたいと願っていたのか、ということがよく表れていると思います。これは今から約100年前(!)の先輩の話です。
 「私が報徳を出ましたのは40数年前になります。ボロ学校だといわれた報徳の3年の教育を受け、大阪の貿易商につとめまして、会社の書類整理は全部英文ばっかりでした。これには随分みんなが苦しみましたけれども、どういうものか非常に報徳の卒業生がいいというので次々に取ってくれました。まじめでかげひなたがないのですね。英語はもちろん難しいから全部はわかりませんけれども、ソロバンはどこの学校にも負けない。当時、東京の商大(現一橋大)と神戸の高商(現神戸大)、この両校が、ほとんど支店長、部長というようなえらいところだった。そういう時代にまじめということを買われて生徒を取ってくれた。当時の優秀な会社に勤めができたということは、報徳精神が買われたわけです。」
 まさに今月の言葉にうたわれた人物像ではありませんか。そして、100年経っても、この教えが人生の成否を分かつこと、何も変わりはないのです。

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