報徳教育部(今月のうた・ことば)

[2016.9.1]

今月のうた・ことば

九月のことば
わが道は至誠と実行のみ。故に鳥獣・虫魚・草木にも皆及ぼすべし。況(いは)んや人に於けるをや。

 二宮尊徳先生は生涯600余ヵ村の復興を手がけたと言われますが、その大前提が至誠と実行でありました。もっともらしく言葉を並べるだけでは決して人は動かず、これだけの農村復興はできなかったでしょう。
 農村の復興の基本は農産物の生産性向上にありますが、そのためにはまず、人々が苦労をいとわず、田畑を耕し、種から苗を育ててこれを植えつけ、水をまいたり肥料を入れたり、あるいは草を引き、暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も農作業を続けなければなりません。
 尊徳先生の教えは、『二宮翁夜話』として残されておりますが、冒頭の言葉も夜話の引用です。この先には次のことばが続きます。
 故に才智弁舌を尊まず。才智弁舌は、人には説(と)くべしといへども、鳥獣草木を説く可(べ)からず。
 鳥獣は心あり、或(あるひ)は欺(あざむ)くべしといへども、草木をば欺く可からず。
 夫(そ)れ我が道は至誠と実行となるが故に、米麦(べいばく)蔬菜(そさい)瓜(うり)茄子(なす)にても、蘭菊にても、皆是(これ)を繁栄せしむるなり。
 尊徳翁は「才智や弁舌を尊ばない。」と断言されました。言葉巧みに人を動かすことができるとしても、言葉だけで家畜や農産物を育てることはできないからです。牛、馬、あるいは犬など、人間の言葉を理解する動物はひょっとすると欺くことができるかも知れませんが、草木をも欺くことはできません。
 秋の実りを目指して、苦労や時間をいとわずに一つ一つ必要なことを一生懸命にやり続けることが至誠と実行です。そのようにすれば、人間の言葉をもたない米、麦、蔬菜、瓜、茄子でも、蘭や菊の花でも、皆これを繁栄させることができるのです。
 相手が人であれ、動植物であれ、はたまた自分であれ、その成長のために、より良い状態を作り出すために必要なことが何かを考え、自分の手間や時間を惜しむことなく確実に実行するのが「至誠と実行」です。そこでは「相手のため」が優先され、「自分の手間、時間」は差し出すもの、つまり推譲となるのです。
 夜話のこの部分は次のことばで締めくくられます。
 古語に、至誠神の如しと云ふといへども、至誠は則ち神と云ふも、不可なかるべきなり。
 凡そ世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。
 中国の経書に四書五経があり、四書の一つである中庸には、「至誠神の如し」とあります。神様は何でもお見通しです。私たちも相手にとって何が必要かを徹底的に考え、すべてを考え出せば、その場面に限っては神様と同じく「お見通し」となります。ですから尊徳先生は「至誠はすなわち神であるといってもよい。」と言われました。神様と同じなのですから、不思議な力が生まれて、難しいと思われたことも成功します。「世の中のことはすべて、たとえ智慧や学問があっても、至誠と実行とがなければ成功しないものと知らなくてはならない。」至誠と実行を以てすれば、人が変わり、成長するのも当然であります。「至誠と実行」の人となるべく、日々修行を重ねたいと思います。

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